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    読書感想文(第3章)

    続きです。Twitter の方では青山先生が連続ツイートで所感を述べたり、谷村先生がそれに対して呆れたり、 小林秀章 a.k.a. GrowHair さんが意見を書いたり、といった動きが有りました。しかし私はまだ第3章です。谷村先生の絡んだ章だけ読むことも考えましたが、それだと結局飛ばした章は後から読まないままになってしまうだろうな、と思い順番通りに読むことにしました。

     

    第3章 細谷暁夫

     

    物理学者渡辺慧先生の「復刻新版 時」を紹介しつつ、物理学から見た時間について語ってゆきます。面白いことに、細谷先生も古典論と量子論とで時間について論じ分けています。さらっと一読して感じたのですが、これは2つのことを示唆しているように思えます。つまり1つは、如何に量子論が革命的であって、根本的に物理学を変えてしまったか、ということ。もう1つは、物理学者は時間について基礎知識のような、共通の理解のようなものがあるのだ(個々人で時間の解釈が全然違う、というブレはあまり無いようである)ということです。

    例えば本章では「古典力学は時間反転対称です」「運動方程式が時間反転に対して対称であることは『ある解に対して時間の符号を変えたものも解となっていると(原文ママ)』と言い換えることができます」という記述があります。第2章の「時間の矢はどちらも向くことができる」という話と同じです。またエントロピー増大で時間の一方向性を説明する、というやり方にも簡単に触れています。

    この後、細谷先生は時間について説いていくのですが、記憶の消去=忘却というステップを特に重視して論じていきます。はっきり言って難解です。1分子だけ入っているシリンダーを考え、分子が仕切りの左右どちらにあるかによって0か1かを記録する架空のメモリの話、これがまず難しい…。この思考実験によって「忘却」するために必要なコストを算出するのです。脳が限界に達しつつある中、どう見ても BSD のデーモン君だろうというマクスウェルの悪魔が登場し癒されます。

     

    明らかにdaemon君

     

    そして、この想像上のメモリの変化のステップを分析し、時間発展には2つの種類があるのではないかと提唱します。一方は運動方程式に従う、自然な、予測可能な未来が訪れるもの。他方は観測するまで未確定な未来を孕んだもの。提唱、と書きましたが、これが細谷先生独自の考えなのか、物理学者一般に支持されている考えなのかはわかりません。この後、さらに量子力学の観測について突っ込んだ話になります。難解です。正直、理解できませんでした。特に、「検証公理」という言葉がキーワードになっているのですが、この言葉の定義がわからないのです。有名な言葉なのだろうかと検索しましたが遂にわかりませんでした。

    最後に哲学者に対して4つの問題提起をして終わりです。それらは

     

    1. 物理学を公理化するときに、「検証公理」は必要か?
    2. 物理学の記述を「操作的」「演繹的」に分類する事は妥当か?
    3. 測定者あるいはマクスウェルの悪魔は自然界のどこにいるのか? この問い自体が間違っているのか?
    4. 確率の意味はなにか?

     

    というものです。

    本章の大部分は非物理学者にとっては非常に難解なものであることは間違いありません。しかし印象だけで語れば、細谷先生は(私の思い描く)哲学というものをやっているように見えます。例えば付記で生物学者本川達雄の時間論に絡め、「シラードエンジンのサイクルは、生物の世代交代を思わせます」と語ります。そして物理学よりも複雑な世界を扱った他の学問(高次、と表現しています)でも「いま」の概念が表れる、と触れており、このように分野を超えて俯瞰できる知性を持っているという点に(私の思い描く)哲学者的なものが感じられます。注釈にも雑多でありつつも興味深い思索が記されています。ゴミ分別は頭脳のメモリが使われ、リセットにコストがかかる、とか。

    言うまでもないことですが、哲学者と哲学教授はまるで違います。ショーペンハウエルは『知性について』の中で、前者を高潔な人、後者を前者を飯の種にする卑しい種族と述べています。

    注釈のこの文章は、職業哲学者に対する痛烈な皮肉のように思えました。

     

    第3章コメント 小山虎

     

    小山先生は4つの問題提起に対し、率直に「哲学者一般の回答は存在しないため、私自身の見解を述べる」としてきっちりと4つの回答を書いています。いわく

     

    1. 必要
    2. 妥当
    3. 質問の意味がよくわかりませんが測定できる場所にいるのでは…
    4. 哲学の世界では確率概念は複数あるというのが定説で、どれを選ぶかが問題

     

    という非常に明快なものでした。好印象です。4については私はかなり衝撃を受けました。「確率」という言葉は数学用語であり明確な一つの定義があるものと考えていたからです。この辺は「確率」と「確率概念」の違いなのかも知れませんが。

     

    第3章リプライ 細谷暁夫

     

    細谷先生のリプライも簡単に回答に触れて終わりです。ア・プリプリオリという言葉が出て来たけれどこれはア・プリオリの誤植なんだろうか、それともア・プリオリの強調表現なんだろうか…。4については少し細谷先生の期待したものと違ったのではないかと思います。と言うのも4についてのみ触れていなかったからです。

     

    第3章は全体的に、私の自身に対する読解力の確かさに疑いを生じさせるものでありました。細谷ノート来てくれー!!

    | tec0(てこ) | 現在という謎 | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
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      読書感想文(第2章)

      引き続き「〈現在〉という謎」の読書感想文です。

       

      第2章 筒井泉

       

      物理学における「空間」の話から始まります。「物理学は19世紀まで英国では自然哲学と呼ばれていた」ということも語られ、素人としては「へえーー」と驚きます。時間という概念については、生物たる我々が生活している状況の変化を認識するために発明されたのではないか、といったことが書いてあり、これは私にとっての時間の実感に非常に近いものです。空間と時間はそもそも別物だが、時空座標という考え方で共通の土台に置くこともできますよ、と紹介しており、これは本書の副題にも含まれている「時間の空間化」を意識して書かれたものでしょう。この後、ミンコフスキー距離(世界間隔)などの数式が出て来ます。理解できません。しかしこの辺りの記述が重要そうです。

      時間や空間はもはや独立なものではなく、互いに入り交じる同質的な意味を帯びる

      相対性理論では絶対的なものは時間と空間のどちらでもなく、それらが結合した4次元的な時空の中の世界間隔であり、それが慣性系に依存しない普遍性を保持している

      そして特殊相対論の基礎には電磁気理論があり、「実験で確認されており、科学的な事実として無視できない」としています。この部分は哲学者に対する念押しのようにも見えます。計量という概念が出て来てさらに数式が続きます。理解できません。とにかく、一般相対論では時間と空間は不可分なものになるということです。感覚的に分からない(人間の感覚できる範囲を超えている)という感じがしてきますが、偉大なるGPS先輩が引き合いに出され、「正しいんですよー」と言って終了。古典力学で粒子をベクトルx(t)で表したように、量子力学では量子状態をψ(t)で表すので大差ありませんという断り。ただし古典力学との違いは、測定を行わない状況であれば線形変換だが測定を行うと状態収縮(state reduction)が起きる点であると説明されます。

      この後、「時間の矢」の話となります。先に、ミンコフスキー距離などで触れたように空間も時間も一緒くたに扱ってゆけるという話がありましたが

      時間軸の方向には、移動の方向と速度が固定されていて自由に移動できない。この「時間の矢」の問題は、古典力学においても、また量子力学においても、基礎方程式の上からその理由を見つけることはできないという意味で非常な難問である。

      と、やはり時間はちょっと特別なパラメーターだよね、という話になります。

      その後、数式が色々出て来ますが、t の代わりに -t を入れても数式が成り立つので時間の矢は順行も逆行もあり得るのでは、といった話になります。これを古典力学と量子力学の両方で、方程式の上で見せてくれるのですが…筆者自身が

      そもそも、このような議論は方程式から環境に問題をシフトさせただけなので、時間の矢の向きの本質的な説明にはならない

      と書いているように、言葉遊びならぬ方程式遊びのように感じました(繰り返しますが私は物理学のド素人です)。遊びのように感じるのは当然ながら私自身が時間の逆行を実生活で経験していないからでしょう。

      次に視点を変えて、エントロピー増大を「時間の矢」問題の突破口にできないか?という論点に移ります。しかし、そもそもエントロピー増大則は統計的処理が可能な、ある程度大きさがあって自由度の高い系で成り立つので、分子数が多い系では時間が順行して分子数が少ない系では逆行するということになってしまうのでは、とのっけから躓きます。さらに、エントロピーが頭打ちになった時、時間も止まってしまうという解釈にならないか、ということでエントロピーと時間を同一視するのは無理筋という感じがしてきます。量子力学で考えると、そもそも測定が行われるとそれだけでフォン・ノイマンエントロピーが増大してしまうし、孤立系と言えなくなるから問題がある、ということが述べられます。

      結局のところ、量子力学においてエントロピー増大則にもとづいて時間の矢を説明する試みは(中略)成功を得ることは現時点では難しいものと思われる。

      こう結論付け、最後に量子力学の時間対称形式が紹介されて終わりです。理解できなかったのですが、理解できるとここが一番面白いところなのではないかという感じはしました。

      全体を通して、見慣れない方程式が多く疲れたのですが「時間の矢」問題は今なお難しい問題だということはよく理解できた気がします。

      ちなみにこれ、ψとφで囲われた玉を連想したのは私だけでしょうか。

       

       

      第2章コメント 小山虎

       

      「逆行」という言葉を明確にした方が良いのでは、という指摘が入ります。なるほど確かに、と感じます。エントロピー増大を時間の順行と言ってしまうと、エントロピーが増大してから減少した場合は時間が順行して逆行したって言えるの?とツッコミが入ります。さらに鋭く、「そもそもエントロピーが減少したのを逆行と呼んだとしても、エントロピーの減少を測定している人にとっての時間は順行したままでしょう」とツッコミが入ります。なるほど、議論になっている!と思いました。

      次に、時間対称形式における逆行について、「因果関係」という視点を入れるといいのでは、と絡んでいきます。哲学の世界では因果という考えによって時間の矢を説明しようとしてきた、という歴史的背景に触れながら、量子力学の発展が哲学に対しても新しい観点を提供してくれますね、と前向きな感じになって終わりです。

      とても有意義な議論だったのではと感じました。小山先生の話にも突飛なものは感じず、ちゃんとキャッチボールが成立していたように見えました。

       

       

      第2章リプライ 筒井泉

      ツッコミごもっともですね、という感じで始まります。

      量子力学の時間対称形式における時間の順行、逆行の問題は研究者間においても論争が継続中であって筆者もこれに関与しているが、いまだ結論が得られる段階でなく(後略)

      ということで、むしろ私としては「白黒付いていない最先端の議論を紹介してくれてありがとう筒井先生」となりました。でも時間対称形式ほんとうによくわからなかったので悔しい限りです。

      次に、因果について、これは時間の矢を定めるものというより時間の矢が暗黙の了解として組み込まれた上での話なのでは、と疑問を呈しつつ物理学的に因果関係について説明していきます。光子源と検出器と分配器を組み合わせた実験を紹介し、量子力学においては因果関係というものも(我々がマクロの世界で自明なもののように思っているほどには)確かではない、ということが紹介されます(こういう理解でいいのか少し自信がありません)。

       

      第2章はお互いの立場を尊重し合うような交流が見られ、非常に良い読後感でした。

       

      読み進めるのはだいぶ骨が折れるのですが、お楽しみの第4章が待っているので第3章も読んでいくことにします。

       

      | tec0(てこ) | 現在という謎 | 19:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
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        読書感想文(第1章)

        1年以上ぶりのblog更新ですが全くゲームと関係無い話です。Twitterで書くには長い文章になりそうだったので。「〈現在〉という謎 時間の空間化批判」という本を読んでの読書感想文です。

        私自身は物理学者でも哲学者でもありません。物理は高校生の頃センター満点取れる程度にはできたので将来物理学者なんて進路もいいなぁと思っていた時期もありました。しかし、通っていた学習塾のアルバイト学生に物理学科の学生がいて、研究者の道を諦め公務員試験を受けると言っているのを見て「これは思ったより厳しい世界なのでは」と思い直し医学部に進み現在に至ります。というわけで以下感想。

         

        はじめに 森田邦久

        ただたんに物理学者と哲学者から寄稿された論文を集めるのではなくこのように「議論」することで、なんらかの化学反応が起こることを期待した。

        面白そうです。期待できそうです。

         

        しかしその後、「現在という言葉には指標的現在と絶対的現在があって、一般的に国語辞典では前者の意味が載っているが、本書タイトルの現在というのは絶対的現在を意識したもので、絶対的現在とは発話者と相対的ではない、特権的な時点を指す」ということを書いています。まずこれが分からない。このように日常会話で用いられている平凡な語に特別な(しかもわかりにくい)意味を与えるのは止めた方が良いと思いました。その後も「4次元時空には過去や未来も含まれているが、なんらおかしな言明ではない」など突飛な文章が並びます。そしてこの4次元時空について特に解説無く次の文章で「さて、そうだとすると」と繋げていくのですが、読者を置いてきぼりにしている感が否めません。「読者であるあなたは4次元的な存在者として存在しているだろう」と言われても読者であるただの人間である私が突然定義も無しに現れた4次元時空なるものの中でどう生活しているのか、私はそこで物を考えたり何かを観ることができるのか、さっぱり想像が付かないわけです。

        問題は、もしこのような指標的現在しか存在しないのだとすれば、「時間が経過する」とはどういう意味かが、少なくとも即座には理解できないということである。

        私は現在という言葉を指標的現在の意味で使ってきたし、なおかつ時間が経過するということの意味が理解できるので、何を言っているのかよくわかりませんでした。

        指標的現在しか存在しないならば「1分経過した」とはどういう意味だろうか。

        1分経過したという意味だと思います。

        この後もよくわからない問いが続くのですが、天動説を引き合いに出して「人間の直観は頼りない」とする部分は頷けました。

        現在主義は〈現在〉に存在するもののみが存在するというモデルであり、「なにが存在するか」は「〈現在〉にあるかどうか」で決まる

        よくわかりません。例えば私が今持っているボールペンは存在していますが、これは工場で完成した時から私の手元に届き今の今まで存在しているとしていいと思います。となると〈現在〉(=絶対的現在)というのは瞬間ではなくだいぶ長い幅をもった時間なのでしょうか。そもそも存在という言葉の使い方が日常会話で用いられるそれとは別物なのでしょうか。

         

         

        第1章 谷村省吾

        第1章に、谷村先生の概説的な文章を持ってきたのは非常に良い構成だと思います。力学のために時間が必要だったこと、相対論における時間、量子論における時間。これらに過不足無く触れていきます。過不足無くというのは私のような素人にとってということです。数式を紹介しつつ、数式に深入りせず「要はこの数式はこう解釈すれば良いのだ」と説明してくれています。率直に言って面白く、引き込まれます(このノリでブルーバックス一冊書いたらすごく売れるんじゃなかろうか…)。個人的にこの行(くだり)、すごく面白かったです。

        ある物体が「力を受けていない」ことはどうしてわかるのか? 慣性系から見て等速直線運動していることからわかる。その座標系が慣性系であることはどうしてわかるのか?(中略)この物体は電気的に中性だから電場から力を受けていないと思われ、周囲には空気も床もないので摩擦力も受けていないと思われるなどの諸条件が満たされるとき「この物体は力を受けていない」と推定されるのである。

        さらにデイビッド・マーミンの現在の考え方を紹介し、批判することで自身の現在についての考えを明確にしています。そして問題の現在主義については真っ向からこう言い放ちます。

        私には、言葉づかいの観点からして現在主義の言いたいことがよくわからないし、物理学の観点から言ってこの命題は意味をなさないと思う。

        最後に、過去すら確定されたものではない、つまりミクロ系では過去すら不定である、といった物理学の成果を紹介して章を閉じます。議論の叩き台としてこんなに適切な第1章があるでしょうか。すごい人だと思いました。

        些末なことですが「すべからく」の誤用があります。

         

        第1章コメント 佐金武

        科学に関する二つの問いから始まりますが、前者はいいと思いました。問題は後者。

        種々の科学理論において役割を果たすさまざまな存在者が本当に実在するかどうかを問う。

        具体例が無く漠然としています。また実在という言葉の意味をはっきり定義すべきだと思いました。「存在者は本当に実在するか」という文章はかなり主語が大きくて抽象的です。よって、何と無くの言語感覚で議論が進行し予期せぬすれ違いが生まれるリスクが高いと思います。それを防ぐために事前に言葉の意味を定義すべきではないでしょうか。

        現在主義というものについて解説が入ります。

        現在主義は決して、私の現在(私の心を占めている現在)と実在(存在)の一致を主張する立場ではない(ただちに矛盾というわけではないにせよ、そのような独我論的主張は現在主義にとって必須の構成要素ではない)。

        よくわかりません。しかしこの後、もう少し平易に書いてくれています。

        なにが現在であるかが主観的な問題であることを否定するのが現在主義である。仮に人間や意識をもったその他の生物が宇宙に存在しなかったとしても、なにが現在であるかは客観的事実として成立しており、そのようなものだけが存在する、これが現在主義の主張なのである。

        この文章は理解できます。非常にわかりやすい。現在主義というのがこのようなものであればそれは宗教とかオカルトであろう、と私はこの時点で結論付けました。知的生命体が宇宙に存在しなくても「現在」というものが存在する、というのは、これはもう宗教でしょう。この後、対立する概念として「永久主義」が紹介され、物理学者は永久主義的なものの見方を好むのではないかという所感が述べられます。

        現在主義の中心的主張を次のように理解する。

         ●現在(である)とは存在(すること)である。

        さて、現在主義から帰結する絶対的同時性とは、現在(存在)によって規定される、次のような(擬似的な)関係である。

         ●AとBが絶対的に同時であるのは、Aが現在であり(存在し)、そして、Bも現在である(存在する)ときかつそのときに限る。

        この辺りから本格的に言葉遊びの様相を呈してきていると思います。現在とは存在である、という文章は率直に言って意味不明です。先にボールペンの話を挙げましたが、現在でなくても存在していたものはあるわけで、前提からして首肯できないと感じました。「世界は気持ちである」、「生命とは過程である」、主語を大きくして何だか大層なことを言っているような文章は誰でも作れます。

        物理学はたしかに、世界にどのような種類の存在者が存在するかについて重要な情報をもたらす。たとえばニュートリノなる存在者はその存在が認められるが、エーテルの存在は認められていない。他方、世界に何が端的に存在するかは物理学に依存しない。

        これもよくわかりません。端的に存在する、というのと、存在する、というのとではどう違うのでしょうか。実験をしなければ存在が明らかにされない、という意味で物理学の限界を指摘しているのでしょうか。物理学では存在が明らかにならないが、それでも存在しているものがある、という主張であればこれはかなり宗教に近い考えだと思います。

         

         

        第1章リプライ 谷村省吾

        これには私は面食らう。なにが現在であるかは客観的事実として成立していない、というのが、まさに特殊相対論および一般相対論の帰結であり、私が話したり書いたりしたことだったからだ。

        第1章をちゃんと読んでもらえなかったのかな?という悲しみが谷村先生の筆致から伝わります。佐金先生のコメント7ページに対し怒涛のリプライ28ページです(!!)。丁寧に、自分自身は現在主義でも永久主義でもない、量子論レベルで言うと量子消去という現象があり、未来に行われる測定を行うまで過去の出来事が確定しないケースがある、と説明します。しかしこれとて第1章で既に説明済みの事柄です。正直悲しい。

        私には佐金氏が提示した《現在(である)とは存在(すること)である》という言明がわからなかった。

        と書きながらも、「たぶんこういうことを言いたいのだろう、と解きほぐし」て懸命に説明をしています。とても誠実だと感じますしこういう歩み寄りの姿勢が分野を超えた交流では必要なのではないでしょうか。リプライすべてを要約することはしませんが、佐金先生の一行一行をしっかり読み込んでしっかり反論を加えています。最終的には佐金先生の「道具主義」「悪しき実用主義に反省を迫る」という文章に対し「我々はすでに量子論と相対論に基づいて動いているGPSの恩恵に与っているじゃねーか!」「言葉選びをちゃんとしろ!」と半ギレになって終わりです。

         

        ページ数で言うとこれでも全体の20%くらいです。物理学者でも哲学者でもない私は純粋にこの噛み合わなさを楽しんで(面白がって)いますが、私は谷村先生に同情的です。私は本書を買うまで、ずっとこの先も延々と谷村先生 vs. 哲学者の掛け合いが続くのかと思っていたのですがそうではなく、物理側からは筒井泉先生と細谷暁夫先生が文章を寄せています。と言っても私に全然なじみの無い先生方なのですが、本書の箸休めにと手に取った数理科学7月号(amazonで売り切れだったので最近取り寄せたばかり)に細谷先生の原稿があり、不思議な一致を感じました。

         

        長崎ライチ「ふうらい姉妹」第1巻より

        | tec0(てこ) | 現在という謎 | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
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