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    読書感想文(第1章)

    1年以上ぶりのblog更新ですが全くゲームと関係無い話です。Twitterで書くには長い文章になりそうだったので。「〈現在〉という謎 時間の空間化批判」という本を読んでの読書感想文です。

    私自身は物理学者でも哲学者でもありません。物理は高校生の頃センター満点取れる程度にはできたので将来物理学者なんて進路もいいなぁと思っていた時期もありました。しかし、通っていた学習塾のアルバイト学生に物理学科の学生がいて、研究者の道を諦め公務員試験を受けると言っているのを見て「これは思ったより厳しい世界なのでは」と思い直し医学部に進み現在に至ります。というわけで以下感想。

     

    はじめに 森田邦久

    ただたんに物理学者と哲学者から寄稿された論文を集めるのではなくこのように「議論」することで、なんらかの化学反応が起こることを期待した。

    面白そうです。期待できそうです。

     

    しかしその後、「現在という言葉には指標的現在と絶対的現在があって、一般的に国語辞典では前者の意味が載っているが、本書タイトルの現在というのは絶対的現在を意識したもので、絶対的現在とは発話者と相対的ではない、特権的な時点を指す」ということを書いています。まずこれが分からない。このように日常会話で用いられている平凡な語に特別な(しかもわかりにくい)意味を与えるのは止めた方が良いと思いました。その後も「4次元時空には過去や未来も含まれているが、なんらおかしな言明ではない」など突飛な文章が並びます。そしてこの4次元時空について特に解説無く次の文章で「さて、そうだとすると」と繋げていくのですが、読者を置いてきぼりにしている感が否めません。「読者であるあなたは4次元的な存在者として存在しているだろう」と言われても読者であるただの人間である私が突然定義も無しに現れた4次元時空なるものの中でどう生活しているのか、私はそこで物を考えたり何かを観ることができるのか、さっぱり想像が付かないわけです。

    問題は、もしこのような指標的現在しか存在しないのだとすれば、「時間が経過する」とはどういう意味かが、少なくとも即座には理解できないということである。

    私は現在という言葉を指標的現在の意味で使ってきたし、なおかつ時間が経過するということの意味が理解できるので、何を言っているのかよくわかりませんでした。

    指標的現在しか存在しないならば「1分経過した」とはどういう意味だろうか。

    1分経過したという意味だと思います。

    この後もよくわからない問いが続くのですが、天動説を引き合いに出して「人間の直観は頼りない」とする部分は頷けました。

    現在主義は〈現在〉に存在するもののみが存在するというモデルであり、「なにが存在するか」は「〈現在〉にあるかどうか」で決まる

    よくわかりません。例えば私が今持っているボールペンは存在していますが、これは工場で完成した時から私の手元に届き今の今まで存在しているとしていいと思います。となると〈現在〉(=絶対的現在)というのは瞬間ではなくだいぶ長い幅をもった時間なのでしょうか。そもそも存在という言葉の使い方が日常会話で用いられるそれとは別物なのでしょうか。

     

     

    第1章 谷村省吾

    第1章に、谷村先生の概説的な文章を持ってきたのは非常に良い構成だと思います。力学のために時間が必要だったこと、相対論における時間、量子論における時間。これらに過不足無く触れていきます。過不足無くというのは私のような素人にとってということです。数式を紹介しつつ、数式に深入りせず「要はこの数式はこう解釈すれば良いのだ」と説明してくれています。率直に言って面白く、引き込まれます(このノリでブルーバックス一冊書いたらすごく売れるんじゃなかろうか…)。個人的にこの行(くだり)、すごく面白かったです。

    ある物体が「力を受けていない」ことはどうしてわかるのか? 慣性系から見て等速直線運動していることからわかる。その座標系が慣性系であることはどうしてわかるのか?(中略)この物体は電気的に中性だから電場から力を受けていないと思われ、周囲には空気も床もないので摩擦力も受けていないと思われるなどの諸条件が満たされるとき「この物体は力を受けていない」と推定されるのである。

    さらにデイビッド・マーミンの現在の考え方を紹介し、批判することで自身の現在についての考えを明確にしています。そして問題の現在主義については真っ向からこう言い放ちます。

    私には、言葉づかいの観点からして現在主義の言いたいことがよくわからないし、物理学の観点から言ってこの命題は意味をなさないと思う。

    最後に、過去すら確定されたものではない、つまりミクロ系では過去すら不定である、といった物理学の成果を紹介して章を閉じます。議論の叩き台としてこんなに適切な第1章があるでしょうか。すごい人だと思いました。

    些末なことですが「すべからく」の誤用があります。

     

    第1章コメント 佐金武

    科学に関する二つの問いから始まりますが、前者はいいと思いました。問題は後者。

    種々の科学理論において役割を果たすさまざまな存在者が本当に実在するかどうかを問う。

    具体例が無く漠然としています。また実在という言葉の意味をはっきり定義すべきだと思いました。「存在者は本当に実在するか」という文章はかなり主語が大きくて抽象的です。よって、何と無くの言語感覚で議論が進行し予期せぬすれ違いが生まれるリスクが高いと思います。それを防ぐために事前に言葉の意味を定義すべきではないでしょうか。

    現在主義というものについて解説が入ります。

    現在主義は決して、私の現在(私の心を占めている現在)と実在(存在)の一致を主張する立場ではない(ただちに矛盾というわけではないにせよ、そのような独我論的主張は現在主義にとって必須の構成要素ではない)。

    よくわかりません。しかしこの後、もう少し平易に書いてくれています。

    なにが現在であるかが主観的な問題であることを否定するのが現在主義である。仮に人間や意識をもったその他の生物が宇宙に存在しなかったとしても、なにが現在であるかは客観的事実として成立しており、そのようなものだけが存在する、これが現在主義の主張なのである。

    この文章は理解できます。非常にわかりやすい。現在主義というのがこのようなものであればそれは宗教とかオカルトであろう、と私はこの時点で結論付けました。知的生命体が宇宙に存在しなくても「現在」というものが存在する、というのは、これはもう宗教でしょう。この後、対立する概念として「永久主義」が紹介され、物理学者は永久主義的なものの見方を好むのではないかという所感が述べられます。

    現在主義の中心的主張を次のように理解する。

     ●現在(である)とは存在(すること)である。

    さて、現在主義から帰結する絶対的同時性とは、現在(存在)によって規定される、次のような(擬似的な)関係である。

     ●AとBが絶対的に同時であるのは、Aが現在であり(存在し)、そして、Bも現在である(存在する)ときかつそのときに限る。

    この辺りから本格的に言葉遊びの様相を呈してきていると思います。現在とは存在である、という文章は率直に言って意味不明です。先にボールペンの話を挙げましたが、現在でなくても存在していたものはあるわけで、前提からして首肯できないと感じました。「世界は気持ちである」、「生命とは過程である」、主語を大きくして何だか大層なことを言っているような文章は誰でも作れます。

    物理学はたしかに、世界にどのような種類の存在者が存在するかについて重要な情報をもたらす。たとえばニュートリノなる存在者はその存在が認められるが、エーテルの存在は認められていない。他方、世界に何が端的に存在するかは物理学に依存しない。

    これもよくわかりません。端的に存在する、というのと、存在する、というのとではどう違うのでしょうか。実験をしなければ存在が明らかにされない、という意味で物理学の限界を指摘しているのでしょうか。物理学では存在が明らかにならないが、それでも存在しているものがある、という主張であればこれはかなり宗教に近い考えだと思います。

     

     

    第1章リプライ 谷村省吾

    これには私は面食らう。なにが現在であるかは客観的事実として成立していない、というのが、まさに特殊相対論および一般相対論の帰結であり、私が話したり書いたりしたことだったからだ。

    第1章をちゃんと読んでもらえなかったのかな?という悲しみが谷村先生の筆致から伝わります。佐金先生のコメント7ページに対し怒涛のリプライ28ページです(!!)。丁寧に、自分自身は現在主義でも永久主義でもない、量子論レベルで言うと量子消去という現象があり、未来に行われる測定を行うまで過去の出来事が確定しないケースがある、と説明します。しかしこれとて第1章で既に説明済みの事柄です。正直悲しい。

    私には佐金氏が提示した《現在(である)とは存在(すること)である》という言明がわからなかった。

    と書きながらも、「たぶんこういうことを言いたいのだろう、と解きほぐし」て懸命に説明をしています。とても誠実だと感じますしこういう歩み寄りの姿勢が分野を超えた交流では必要なのではないでしょうか。リプライすべてを要約することはしませんが、佐金先生の一行一行をしっかり読み込んでしっかり反論を加えています。最終的には佐金先生の「道具主義」「悪しき実用主義に反省を迫る」という文章に対し「我々はすでに量子論と相対論に基づいて動いているGPSの恩恵に与っているじゃねーか!」「言葉選びをちゃんとしろ!」と半ギレになって終わりです。

     

    ページ数で言うとこれでも全体の20%くらいです。物理学者でも哲学者でもない私は純粋にこの噛み合わなさを楽しんで(面白がって)いますが、私は谷村先生に同情的です。私は本書を買うまで、ずっとこの先も延々と谷村先生 vs. 哲学者の掛け合いが続くのかと思っていたのですがそうではなく、物理側からは筒井泉先生と細谷暁夫先生が文章を寄せています。と言っても私に全然なじみの無い先生方なのですが、本書の箸休めにと手に取った数理科学7月号(amazonで売り切れだったので最近取り寄せたばかり)に細谷先生の原稿があり、不思議な一致を感じました。

     

    長崎ライチ「ふうらい姉妹」第1巻より

    | tec0(てこ) | 現在という謎 | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - |









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